中国語と日本語の漢字

『日本と中国』(王敏著、中公新書)によると、中国語と日本語の漢字の関係は、次のとおりです。

[漢字の受容]

 漢字の日本伝来は、5世紀初頭、漢字は、日本列島で1500年余りの歴史があります。

 漢字はもともと大陸の人々の表現にあう言葉として創造されたものであって、日本列島の人々は、初めて漢字というものに出会って、どう使えばいいのか困惑したと想像できます。

 言葉の構造の違いにはもっと困ったはずである。中国語は動詞が先にきて目的語があとにつく。

 動詞のほか、形容詞も形容動詞も語尾変化するのが日本語である。まったく変化しない漢字を受け入れたのであるから、列島の人々は腕組みするばかりであったろう。


[漢字の創作1]

 日本人はこれらすべての難問をこなして、漢字を日本語表記の道具として揺るぎないものにした。

 漢字の受容段階が一次加工なら、国字(日本で漢字の構成法に倣って作られた文字)創作は進化した二次加工にあたる。

 日本文化、日本人の暮らしを象徴する国字を一字選べといわれれば、私は迷いなく「躾」という字を挙げたい。

 躾は、日本人に、礼儀作法を身につけて美しい仕草を追求する価値観がなくては生まれることのなかった字である。

 古代、列島の人々は中国文化に学びながら漢字を使ってみることにし、列島の生活文化にどうあてはまるのか、一字ずつ検証したであろう。ところが、すべての字を点検しても「しつけ」にあてはまる字がなくて困ったに違いない。どうしたらいいのか。日本人は独創的な解決法を考えだした。自分たちに必要な字を自分たちで創作すればよいと気づいたのである。

 文字通り「身体が美しい」「身体を美しくさせる」概念を表す漢字を、日本人は創りだした。中国の漢字にこれにあたるものは今もない。あらためて、「しつけ」が日本文化の特徴の一つという見方を裏付けているように思う。


[漢字の創作2]

 幕末維新期、西洋という新しい異質の文化に遭遇したときも言葉の創作力を発揮した。これは漢字の三次加工といってもおかしくない。西洋化・近代化が必須の環境のなかで、日本語の本質を失わず、翻訳によって新しい学問や科学、思想を理解していく方法を確立した。平安期に発揮された「和魂漢才」の精神が、幕末維新期に「和魂洋才」として結実したということであろう。

 1000年余り前の古代日本人の創作苦心が無駄でなかったといえる。それは西洋への追随のように見えるものの、西洋を鑑にした新たな日本化である。

 幕末維新期の賢人は漢字創作能力をベースに西洋の書物を翻訳した。「幹部」「政策」「経済」「投資」「社会」「経営」「自由」など、日本製中国語は1000個を超すという(山室信一『思想課題としてのアジア』岩波書店、2001年)。

 漢字の一字ごとの意味はたいてい中国と共通であり、西らの造語法による訳語の多くが中国でも採用されて、日中文化交流の実績となったことは強調されていい。