銀 龍 物 語 Epi.17 中国司法試験の合格体験記

翻訳部 梁 然然(山東省出身)
中国弁護士試験 一発合格
日本語翻訳資格試験2級
アジア・アフリカ文学専攻 修士

          


 みなさまこんにちは。

 わたしは、2013年に大学院を卒業した後、Dragon IP翻訳部に入ってもうすぐ満4年です。

 わたしは、昨年、中国の弁護士試験に参加し、結果は、ボーダーライン+2点という低空飛行ではありますが、合格することができました。
 (満点600点 / 最高得点480点くらい / ボーダーライン360点)

 普段の仕事では、主に、拒絶理由通知の中日翻訳をしていますが、法律に対して深く関わったことがなく、ときどきある、法律関係の翻訳に触れるくらいでした。ですが、そのときどきの法律関係の翻訳の仕事が、わたしの司法試験への挑戦の直接の契機となりました。

 法律関係の翻訳は、ふだんの技術関係の翻訳と比べて難しいものではありませんが、ときどき遭遇する法律用語は、法律に触れたことのない者にとっては理解しにくいものであり、単語一つ、文一つを翻訳するのに大きな労力を使うこともあります。

 文系出身者にとっては、技術面の理解については、どうにもこうにもやむをえないというところもあります。文系、理系の思考の間の障害は、短期間の学習で克服できるものではないと思うからです。

 しかし、法律はそれとは違います。文系科目に属する法律には、文系出身者からすれば、思考上の障害はなく、しばらく学習すれば、ある程度の内容を把握できるものであり、少なくとも翻訳の仕事の際により容易になります。

 ふだんから自分で法律の勉強を行うことは可能ではありますが、法律の範囲は非常に広く、内容も非常に多く、具体的な目標を持たずに単に勉強するとすれば、自分の気力に頼ることになって続けられず、勉強が不十分になります。以前に、何冊かの学習書を買ったことがあるのですが、結局ほとんど読みませんでした。

 そうこうしているうちに、同僚が司法試験に合格したという話をちょうど耳にし、試験は勉強を促進するものであるとの考えにいたり、ようやく司法試験に参加することを決めました。自習では勉強を続けられないおそれがあったため、予備校の週末クラス(半年、受講料は7000 RMB)に申し込みました。司法試験合格という明確な目標ができ、勉強に対する情熱が大幅に大幅にアップしました。

 司法試験の内容は、理論、民法、刑法、行政法、民訴、刑訴、3つの国際法、商経というような部分を含みます。なお、試験は毎年9月下旬に行われ、2日にわたり(試験時間は午前3h午後3h)、初日と2日目の午前は選択式の試験、2日目の午後は事例分析及び論文試験です。

 予備校からは、その各部分について、解説テキスト、問題集、過去問集が配布され、司法試験のための学習書籍を積み重ねると、1メートルほどになりました。

 2015年12月に、司法試験受験を決意し、予備校に申し込みを行いました。2016年1月に予備校からの教材が届いてそれらを読み始めました。

 予備校の授業は、3月から9月の試験日の前までの期間、毎週末の2日間、朝9時から夜18時まであり、昼休みの休憩は1時間です。

 住んでいる場所から予備校までバスでおよそ1時間かかり、授業がはじまったばかりのころは、いろいろな用事があったのですが、週末の2日のうち1日は通うことができていました。

 その後、予備校に通うのに2時間をかけるのは、疲れるし無駄な時間だと思い、4月すぎからは、自宅で自習することにして通わないことに決めました。予備校にはオンライン講座があり、ビデオを見ながらテキストを見て勉強することができるからです。

 というように学習を続けてはいましたが、試験の直前になっても、何冊かのテキストは読み終えることができていませんでした。このため、受験の日、自分の準備は不十分であるし、読み終えていないテキストもあるし、受かるのは無理だわ、と思っていました。

 試験勉強をした期間は、2016年1月から9月までの9ヶ月間ですが、平日の昼間はDragon IPでの仕事があります。平日の退社後の時間と、休日の時間を勉強の時間にあてることが可能です。計算上では、およそ80日の休日には8時間/日、およそ180日の平日には2時間/日のペースで勉強が可能であり、そうすると、最終的には1000時間を確保することが可能です。

 一般には、司法試験の合格には800時間以上の勉強時間が必要であると言われているので、計算上では、1月からの勉強でも200時間も余分に時間を確保できているのですが、ただ、実際には、退社後に疲れて勉強をしなかった日があり、また積極的に余暇の活動に参加していました。

 例えば、毎週火曜日の夜の所内バドミントンクラブの活動日、週末の大学同窓生との夕食会の日、祝日における実家への帰省の日、翻訳部の部門旅行の日、所員旅行の日などです。

 このように、なかなか勉強の時間が確保できていませんでした。このため、試験の準備がよくできていないと思って試験の直前に1週間の休暇を取ってもらいました。今はその1週間集中して勉強ができて合格するのにかなりの役割を果したと思いますが、そのときは1週間集中して勉強したとはいえ、合格する自信がつきませんでした。

 このようなことで、「参加することに意義がある」というオリンピック精神で試験会場に入場し、一応は予想していたとおり、どれもこれもできないという感覚であり、これまで問題を解いてきたことが無意味であるというような感覚でした。

 でも、みんなは、過去問を解くことは、将来の試験問題を解く訓練になるといっていましたが、わたしは過去問をすべて解いたのに、実際の試験のときにどうしてこのような感覚に陥ったのでしょうか?試験の後でわかったことですが、その年は出題傾向が大きく変容し、予備校の先生が予想していた試験内容は完全にハズレていました。というような感じで、一部はあてずっぽのようなところもありながら、初めての、中国最大の試験である司法試験の受験を終えました。

 試験を終えて会場から出ると、たくさんの受験生が記念写真を撮っており、まるで一大事を経験した後のような様子でした。わたしといえば、すぐにタクシーに乗って、Dragon IPの同僚で席がお隣の任向然さん(わたしの1年先輩で親友)が予約してくれていた焼き魚のお店に行き、司法試験の受験完了のお祝いをしてもらいました。


中国の焼き魚(日本の焼き魚とは少し違います)

 わたしは、試験が終わっただけなのだからそこまでしてくれなくてもいいわよと思っていましたが、試験勉強を9ヶ月間、継続できたことについては、お祝いに値することかもしれないと思いました。

 試験会場でわたしは気づかなかったのですが、ほかの受験生によると、試験の途中で退出した受験生が結構多かったそうで、難しくて試験にとおりそうにないと思ってあきらめてしまったのかもしれません。

 でも、聞くところによると、合格できるかどうかは、実際の点数によるのではなく、事前に決められた合格率があり、受験者数にその合格率をかけた人数内の得点が取れていれば合格するようです。

 このため、自分が難しいと感じていたとしても、他の人も同様に感じているはずであり、自分が合格した後に、次のように感じました。試験の途中で退出してしまった人はもったいないことをしており、試験を最後まで受ければ合格していたかもしれないのに。

 試験が終わった後は、すごくすごくリラックスしていました。試験問題を解いては間違えて、また解いては間違えて、という毎日がやっと終わり、その試験勉強の過程では、本当に何度も何度もくじけそうになりました。なぜなら、自分では完全に理解したつもりの問題なのに、やってみると間違えて、間違えるのは一度ではなく、やったことがある問題をまたやってみるとまた間違えて、という状況だったからです。

 試験の2ヶ月後に得点が発表されたのですが、確認する気になりませんでした。試験に合格するとは思っていなかったし、もし合格したら奇跡だよねと同僚と話してもいました。

 しかし、得点が発表された日の翌日の朝、携帯電話を見ると、一件の通知が着ており、送信者は司法試験センタであり、試験に合格したことをわたしに通知するものでした。

 その通知を見たときにはとても信じられませんでした。司法試験への参加の申し込み手続の際に自分の携帯電話番号は記載した記憶は確かにあるけど、、、という感じです。

 誰かのいたずらではないことを少しずつ認識していき、少しボーっとした後、ネットで合否を確認し、確かに合格しており、そのこと自体がわたしにとってすごいすごい奇跡でした。得点は、ボーダーライン+2点ではありましたが。

 合格発表の後、ある同僚から「試験に運をぜんぶ使い果たしたのね」と言われ、そのときはそんなことはないと思ったりしてもいましたが、それからだいぶ時間がたった今、そうかもしれないという気持ちがどんどん強くなっているところです。

 P.S. 「孔子、孟子は山東省出身であるし、一般に、中国では、山東人は賢いと言われています」(銀龍物語編集部)

                                 以上
                    (銀龍物語Epi.17  おしまい)