銀 龍 物 語 Epi.12 わたしと彼女の物語

代理部秘書Gリーダ
張雪梅
                        

 彼女は、町田マキコ(お名前はカタカナにしています)さんであり、当時、北京のトラスト不動産の日本部長でした。2008年1月、大学最後の半年のインターン期間が始まり、お試しのつもりでこの会社に履歴書を送ったところ、思いがけず面接の通知を受け取りました。

 面接で初めてお会いした町田さんは、すごく美しい方であり、わたしが大好きな日本の女優の長澤まさみさんに似ており、とても44歳の女性には見えませんでした。彼女はおおらかで優雅な物腰で、わたしにすごくよい印象を与えました。一週間後、大学を出たばかりのわたしは、この会社の日本部に、期待と不安とを胸に抱きながら正式に入社することになりました。

 トラスト不動産は、出張または駐在の日本人に短期または長期でサービスアパートメントを提供する会社です。そして、わたしの仕事は、主に短期の賃貸業務(ウィークリーマンション)であり、入居、退去および居住中において生じた問題の解決というサポート業務でした。大半の日本人クライアントは短期出張で中国に来られておりましたが、わたしたちが提供していたアパートメントはどれも中国の大家さんから借りた普通のマンションです。

 マンションの室内の設備や電気製品はどれも中国語で説明されており、この点などが中国語を読むことができない日本人クライアントに多くの不便や困難をもたらしていました。このため、入居が完了した後も、日本人クライアントからの電話がたくさん鳴るという状況でした。電話の内容は、例えば、お湯が出ない、トイレの水が詰まったなどでした。

 その一方、社会人になったばかりで白紙と同様のわたしにとっても、そのような電話の対応は非常に困難なものでした。大学でビジネスマナーの授業はありましたが、その仕事を始めた後、大学の授業で学んだことだけでは到底対応できないことを知りました。仕事が始まったばかりの頃、中国式の電話マナーに慣れていたわたしは、電話の相手は自分を見ることができないので、電話中にいつも無表情で話をしていました。

 それを見た彼女は、すぐにわたしを制止し、「電話での連絡であっても笑顔で対応しなければならないし、心を込めてクライアントと話をしなければならず、それが日本人クライアントとの会話における正しい電話マナーなのですよ」と伝えました。

 実際のところ、そのことを言われた直後はその意味をまったく理解しておらず、「笑っちゃうわよ」「あなたの笑顔を電話先の相手は見えるのかしら?」というような気持ちだけでした。彼女はわたしの気持ちをすぐに見透かし、テストをすることを命じました。わたしたちは2つの部屋に分かれ、お互い電話をかけあいました。

 そのテストを通じて違いを感じることができました。笑顔で電話をかけ、笑顔で電話に出たわたしは、自分に驚かされました。笑顔は相手側に自分の心からの気持ちを伝えることができるだけでなく、自分も晴れ晴れとしたうれしい気持ちになるということです。この電話マナーの出来事を始まりとして、彼女は自らの「まじめさ」「責任感」「我慢強さ」を徐々にわたしの心の中に染み込ませていきました。

 入社後1年が経った後、彼女の粘り強く心を尽くした指導のおかげで、わたしの業務能力は大幅に高まり、学生から社会人への変身を実現できていました。わたしの仕事が軌道に乗ったまさにその頃、2009年5月1日、総経理から電話をもらい、彼女が北京の自宅で倒れ、日中友好病院に運ばれたところだとの連絡を受けました。わたしは慌てて病院に向かいました。危険な状況を脱した彼女はまだ目を覚ましておりませんでした。

 医者は誰かが付き添う必要があると言い、わたしはその役目を希望しました。看病の最中は、彼女が目を覚ますことをいつもいつも願っていました。その5日後、彼女の母親が東京から来られました。

 母親はすでに80歳と高齢であり、また初めての中国であり、すべての事について不慣れでした。わたしは、彼女が目を覚ますまでの10日間、その母親と一緒に彼女を看病しました。母親は、東京で治療を受させることを決断し、その後、連絡が途絶えてしまいましたが、彼女の病状をいつも考えていました。

 その年の9月のことです。彼女と母親が北京に来られ、わたしへのお礼の品を準備して会社まで来てくれました。彼女の病状は安定しているが仕事をするのは難しいとのことで、おそらくもう中国に来ることはできないとのことでした。

 そのとき以来、わたしたちが再会することはなく、連絡先もわからないままです。わたしにできることは健康を祈ることだけであり、もしもう一度お会いすることができるのなら「謝謝」と伝えたいです。

 2010年にトラスト不動産を退職し、北京銀龍に入社しました。北京銀龍には多数の日本クライアントがおられますが、前職とは異なり日本人クライアントと直接電話でお話する機会はなくなりました。そのようなことから、今振り返ると、彼女に教えていただいたたくさんの知識は、ゆっくりとまるでわすれていくように薄れてきていたのだと思います。

 実は、今年の12月のはじめに、わたしの日本出張が予定されています。まだ日本に行ったことのないわたしにとっては、その出張はチャンスであり、ある意味挑戦でもあります。その出張が決まった直後から、週末の日本語口語クラスに通い始めました。

 その口語クラスの授業中、いつも彼女のことが思い出され、彼女がわたしにしてくれた最初の電話マナーのレクチャーの様子がまるで昨日のことのように思い出されました。口語クラスの回数が進むにつれて、わたしの中の彼女の記憶が徐々に励起され、あたまのどこかに残されていた彼女との思い出やそのときの気持ちがわたしの脳裏に映し出されてきます。

 北京銀龍に入社してからこれまでの間、日本クライアントに電話で問い合わせる仕事は日本部に依頼していましたが、この「わたしと彼女の物語」の執筆を通じてその仕事を自分でやるようにしたいという希望というか考えが生まれました。

 このため、今後も継続して日本語の口語レベルの維持および向上のために努力するつもりです。もしかしたら、皆様がわたしからの電話をお受けになることもあるかもしれませんが、その際にはよろしくお願いいたします ^_^ 。
                                 以上
                    (銀龍物語Epi.12  おしまい)