銀 龍 物 語 Epi.06 中国滞在中の事件簿
日本部
弁理士 双田 飞鸟
友 人 : 「今日、行くの?」
あなた : 「もちろん、行くよ」
親しい友人との間で、お互いの共通の認識を前提として、このような会話をした経験があるのではないかと思います。
わたしが北京に来て5年目の夏に遭遇した事件は、日本人と中国人とがまったく面識のない状況でお互いの共通認識のようなものが成立することってあるのか?というところから始まりました。
当時、わたしは、北京の地下鉄13号線の五道口駅の近くに住んでいました。五道口駅の近くには、中国語を学ぶ外国人留学生が多く通う北京語言大学、現在の国家主席の母校で北京大学と並ぶ名門の清華大学があり、味がそこそこの日本料理屋や24h営業の漫画喫茶もあり、日本人にとって住みやすい地域です。なお、ここには日本人留学生は多いのですが、日本人駐在員はあまりいません。
五道口駅から北京語言大学を通り過ぎて東へ数百メートル進むと、南北に延びる学院路があります。その学院路をバスで南に十数分進むと国家知識産権局(SIPO)が左側に見え、通信分野で有名な北京郵電大学を過ぎて少しのところに事務所(Dragon IP)があります。通勤は、その当時、バスだと0.4元で30分前後、タクシーだと15元で10分前後でした。
事務所は、国家知識産権局まで行くのに便利な場所にあり、1~3階が百貨店、4~17階がオフィスになっている17階建てビルの10階にあります。現在は電子出願がメインですが、復審・無効審判の段階ではまだ紙書類の提出が必要であり、また国家知識産権局の発行書類の受領が必要であるため、所員が毎日そこまで通っています。
その日は、19時まで残業してほどよい開放感と疲労感をもちながら「今日はクレーム翻訳チェックをたくさんよくがんばった。ちょっと疲れたし、渋滞も終わったころだしタクシーに乗って帰ろうかな」と考えながら、黒いリュックを背負って1階の靴売り場の間を一人でトボトボ歩いていました。
そのときでした。突然、見知らぬ通行人から中国語で「今、タクシーに乗りたいでしょ」と声をかけられました。わたしはボーっと歩いていたので、その見知らぬ通行人が自分に近づいてきていたことすら認識していませんでした。
「んんん、なんでこの人はタクシーに乗りたいことを知っているんだ。こんなことってあるのか?まぁ、ちょうどいいから乗ってもいいか」とか考えていたその瞬間に、いきなり左手首を強烈な力で摑まれました。絶対に逃がさないという強い意思と相手の興奮の度合いが左手首から伝わってきました。自分の身に何が起きたのかまったくわかりませんでしたが、仕事からの開放感と疲労感は一瞬で吹っ飛びました。その見知らぬ通行人は、40歳代の中ごろで身長165センチほどの少し日焼けした男でした。
その男は、わたしの左手首を強く摑んだままで、わたしに黒のクリップで束ねられた札束の一番上にある50元札を見せながら「これ知っているよなぁ」と言いました(写真のような状況です)。わたしは、何のことやらさっぱりわかりませんでした。こころの中で「ヤメロヨォ、ヤメロヨォ」と言いながら自分の左手首を少し抵抗させましたが、絶対に放さないという男の意思を確認できただけでした。男は、わたしの左手首を強引に引っ張り、わたしを無言でビルの外に連れ出しました。何らかの事件に巻き込まれたと感じ、ものすごく大きな不安に襲われていました。
ビルの外では街灯が点灯し、その当時は今とは違って霧は出ておらず街灯が埃の光路をつくってはいませんでしたが、30名ほどのおばちゃんたちがいつものように広場で大音量の音楽に合わせて踊りをしており、また、ビルの前を通り過ぎる通行人たちが5メートル四方に一人ほどの密度で行き交っていました。わたし以外の人たちは普段どおりの日常を過ごしていたのでした。
ビルの外に出た後、左手首を全力で振り払って走って逃げることも考えましたが、走るのが遅いので逃げ切る自信がまったくないこと、まだ多くの人々が周りにいるので大声を出されたらわたしは外国人でもあるし取り押さえられたりしてさらにピンチになってしまう可能性が高いことから、それは冷静にあきらめました。男は「警察に行こうか」と言ってきました。警察のお世話になるような行動をしたことがあるかを一応まじめに考えてみたのですがそれは見つからず、何かの間違いだとは思いましたが、不安でいっぱいでした。
なお、このような情況の場合、けんかになって野次馬の人だかりができ、さらに仲裁者まで現れるのが通常ですが、わたしが大声を一切出さなかったからか、野次馬も仲裁者もいませんでした。今考えると、仮にその男と口論になっていたとしても興奮して中国語が普段と比較してさらにぐちゃぐちゃになって「くぁwせdrftgyふじこlp」としかしゃべれなくてさらに不利な立場に追い込まれ、野次馬も増えていってホントに警察が来てしまっていたのではないかと思います。
その男はタクシーの運転手であり、事務所のビルの前で降りた黒いリュックを背負った乗客が50元を払い、その運転手が40元のおつりを渡したが、その50元札が偽札だったのです。偽札を渡されてタクシー運賃を踏み倒されかつ40元を損した運転手は、乗客がビルの入り口に入るのを見て、乗客を追いかけてビルに入ったところに、わたしが黒いリュックを背負って歩いていたということがわかりました。男とどのような会話をしてそのことを理解したのかについて記憶がまったくありません。ただ、黒いリュックを背負った人を探してみたが見つからなかったという記憶だけはあります。
外に出てから10分くらいは経過していたと思います。わたしは「今事務所から出てきたばかりだ」と一生懸命つたない中国語で男に説明をしました。そして、タイムカードと同僚が自分のアリバイを証明してくれることにやっと気づき、「タイムカードを押したばかりだし、事務所には同僚もまだたくさんいるから一緒に事務所に行こう」と一生懸命に何度も何度も男に言いました。男は近くにいた守衛に「このビルにオフィスはあるのか」と聞きました。わたしの開放への期待は高まりましたが、守衛は、ナント、あっさり他人事のように「知らない」と返事をしました。あ~、ちゃんと答えてくれよ~。あるじゃないかぁ。わたしは「ここは百貨店だけど上はオフィスになっている」と守衛に言うと、守衛は「そうかもしれない」と返事をしてくれました。
また、男は守衛に「このビルの出入口はここ以外にもあるか」と聞きました。百貨店の出入口が一つのはずないじゃんと思いました。助かるかもしれないという期待が生まれてきていたため、少しだけ気持ち的な余裕が出てきていました。守衛は「他にもある」と答えてくれました。男はだいぶ落ち着いてきていたようで、少ししてからわたしの左手首をあっさり放し、学院路に向かって早足で歩き出し、自分のタクシーに乗ってどこかに行ってしまいました。わたしはその様子を放心状態でながめていました。男はわたしに謝罪の言葉を一言も言わずに去っていきましたが、わたしにはそのとき男に文句を言う気力がこれっぽっちもありませんでした。
このようにして開放され、最初に左手首を摑まれてから開放までにどのくらいの時間が経ったのかわかりませんが、想像では20分くらいかと思います。開放後、わたしは予定どおりタクシーに乗って帰りましたが、こころの準備がないままいきなり左手首を強く摑まれたわたしは、左手首の痛みはすぐに治まったのですが気持ちの面での動揺が大きく、その動揺が収まったころに時計をみたところ、20時半を過ぎていました。
中国に来てからの事件としては、ほかに、最初のころに一人で食事に行きマーボー丼とジュースを頼んだのにマーボー丼が2つ出てきてしまったこと、久しぶりに五路口駅近くの日本料理屋に行き親子丼を頼んだところ鳥の骨が混じっていて歯が欠けたかと思うほどそれを強く噛んでしまい、店員に中国語で一生懸命に文句を言ったが店員はニコニコするだけで意味をまったく理解してもらえず、怒りの感情にプラスして自分の中国語レベルの低さに対するふがいなさも加わり、その感情をどこにもぶつけることができず自己消化せざるをえなかったこと、北京オリンピックの際に柔道会場で国歌を聞いたこと、ある雰囲気が中国全土を覆った際に3ヶ月間タクシーに乗れなかったことがあります。
また、ロシア、中国、北朝鮮の3つの国境を見渡せる観光地に向かってタクシーで移動中、運転手(私が日本人とは知らない)から「午前中、日本人を××まで二人乗せたら、いろいろ調べられて大変だったよ。その日本人のカメラに何も映っていなかったからよかったけど、記者だったら私もアウトだったよ」と言われたこと、クライアントで初めてセミナ講師を担当したときに受付の女性から「あの講師の方、すごく緊張しているみたいですけど大丈夫ですか?」と本気で心配され、数年後、その女性と再会したことなどがあります。
そういえば、最近、もうすぐ5歳になる娘から腕を引っ張られることがよくありますが、わたし一人だとそのままひっぱられてしまうのは事件のときと同じだナ。
(銀龍物語Epi.06 おしまい)